奇跡講座と「water!」

本屋で、英語関係の本を見ていた。

学校の英文法をやり直すことで英語を理解するという趣旨のものだった。

日本の英語教育は役に立たないと言われていて、実際、英語でコミュニケーションができない日本人は、他の外国人に比べて非常に多いということが問題視されている。

しかし、英文法などの基礎をしっかりと学んでいるという点では、実は、日本人は潜在的には英語の語学力はかなり高いらしい。

その後、クイズで脳トレの本を見たが、こうしたことも、ただ本を見てあれこれ考えるよりも、実際に手を使ったり体を動かしたりして何かをする方が、よほど脳トレになるのではないかという気がする。

なぜ、ただ本を読むだけでは充分な脳トレにならないかというと、言葉などの情報は、そのときそのときのリアルな状況と、実は密接に結びついているからである。

もちろん、純粋に抽象的に考える能力が発達している場合は、必ずしもその限りではないが。

ただ本を読んで知識を吸収するだけでは、それが実際にどういうことなのかはわからない。

だから、英語もまた、リアルな状況の中でのみ、本当の意味で身につくのかもしれない。

そうしたことがぼんやりと思われていたら、ふと、これってもしかして、ヘレン・ケラーが体験したことだろうか、という気がした。

つまり、サリバン先生から、手にポンプで汲んだ水を浴びせられ、そこに加えて手のひらに「water」と書かれたことで、水と「water」とがヘレンの中で結びついた、あの瞬間である。

してみると、もしかすると自分の中で、「愛」ということと、愛のリアリティ(実相、現実)とが、実は結びついていず、それが結びつくことが、意識覚醒なのではないか。

そうしたことが、言葉としてというよりも、何かもっと深い感覚的なところでふっと思われて、そのときに、何か全身がぞくぞくするような感覚に襲われ、出先なのにしばらく泣けて泣けてたまらなかった。

マスクをしていたので他の人にはばれませんでしたが(笑)。

これは、もっと平たく言うと、つまり、「愛」と愛とが結びついていなかったわけです。

それはあたかも、ヘレン・ケラーの中で、「水」と水とが結びつくようなもの、というか、まさにそのものなのではないか。

ネットで調べてみたら、この秋に、サリバン先生とヘレン・ケラーの物語である「奇跡の人」が公演されるらしいですが、私は知りませんでした。

もっとも、これは過去何度も公演されているらしいですが。

ちなみに、「奇跡の人」の元のタイトルは、「The Miracle Worker」であり、奇跡講座を受け取ったヘレン・シャックマンは、当時、とても感銘を受けていたというような話を、ワプニック博士の解説か何かで読んだ記憶があります。

(出所を明らかにするために『天国から離れて』を少し読み返しましたが、当該箇所は発見できませんでした)

そしてこの、「Miracle Worker」とは、実は、ヘレン・ケラーのことではなくサリバン先生のことだった、という説も聞いたことがあります。

ですが実のところ、これは、ヘレン・ケラーとサリバン先生の「神聖な関係」自体が、「miracle worker」、つまり「奇跡をもたらす人・奇跡を行う人」として作用した、ということなのではないかという気がします。

もう一つ、wikiを見ていたら、有名な、ヘレン・ケラーが「water」と叫ぶというシーンは、実は戯曲作家による創作であり、実際には、ケラーは「water」と綴ったのであり、発声できるようになったのはずっと後のことだそうです。

ですから、「愛」と愛とが結びついたときも、実際には、何か叫ぶというようなものではないのかもしれません。

さて、ここからは、毒舌コーナー(笑)です。

『天国から離れて』,p.325にあったんですけどね。

これは、ビルさんが異常心理学について教えていたことに関連しているようですが、イエスさんは、「異常心理学とは、自我の心理学だ」(p.325)と言っています。

これはたぶん、異常心理学とは自我についての心理学である、ということでしょうね。

で、こう書かれています。

「ほとんどの教師たちが、不運にも、その講座(コース)を異常なやり方で教える傾向にあり、学生たちの多くは、彼ら自身の権威の問題のゆえに、顕著な知覚的歪曲をこうむることになりやすい」(p.325)

もちろん、ここで言及されている「講座(コース)」とは、異常心理学についての講座のことではあるんですが、ま、某講座のことも暗示されているように感じるのが、私だけであることを祈ります。

現場からは以上です。