ある方のブログで、身体に関するコンプレックスを克服したという話があったが、その方は手術をしてコンプレックスを取り去ったと書いていた。
一般的にはそうなんだよなあと、あらためて感じた。
私の感覚だと、身体的な問題をコンプレックスと感じているのは自分の知覚が自我によってゆがんでいるからであり、つまり、真のコンプレックスは心の側にある、などと主張してしまうから、もしそんなことを公言したら、その方はもちろん、多くの人が私のところから去って行くだろう。
正直、ものすごく寂しい。
ここで、私の学びとしては、そうした人がいる、つまり、コンプレックスを感じる対象の側をどうこうすることに終始して、真のコンプレックスのありかには決して目を向けない、という方針を貫いている人がいる、という知覚自体を赦すことになるのだろう。
それはまた、真の知覚を育むことになるのだろうけど、しかし、正直もう参っている。
追記。投稿してみて気がついたが、私もまた、赦す必要性を対象の側においていた、ということに気がついた。
つまり、そうした人を赦す、のではなく、そうした人に私が無意識に投影している何か、を、直視する必要があるわけであり、赦す必要があるのはそこである。