すれ違う人がみな、かつて関わりがあった人のような気がして、まるで、生きながらにして走馬灯を味わっているかのよう。
秋の街はうら寂しく、抱きしめたくなるほどの愛おしさだった。
写真を撮っている人がいて、また別の人も撮りはじめ、私も便乗し、そして一期一会で会釈して去る。
そのようにして、かつて私であったものと別れた。
すべてが、ある一つのサイクルの完結を示していた。
だが、さらにその奥から、存在の根底から、巨大な闇が隙をうかがっているのを感じる。
それは、隙あらばこちらの息の根を止めようと、虎視眈々としている。
ただ、もしそれに飲まれたとしても、それが「道」だったのだろう、という感じで、それはただ自分の根底にある恐怖であり、私が作り出したものであり、それが神から私を「護って」いたものだった。
ただそれは染みわたり、そしてその無性(むせい)が次第に感じられる。
無とは単に「何もない」ということであり、そこには依然として、ただ光があるのみである。